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IPSG認定医院

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ドイツ式入れ歯 130年の歴史

▼ドイツ式入れ歯テレスコープシステムの歴史

ドイツ式入れ歯は、諸外国の中でも入れ歯において最も進んでいるとされているドイツで生まれた入れ歯治療です。「費用がかかっても質の高い長持ちする治療を選択する」ドイツ人の考え方から生まれた正統的な治療とも言うことができ、その歴史は1886年に始まり実に130年の歴史があります。

IPSG代表稲葉繁先生が、ドイツから日本にドイツ式入れ歯、テレスコープシステムを紹介してから30年以上経ちました。

テレスコープシステムの歴史的誕生について、稲葉先生とのエピソード、症例などを交えてインタビューした内容です。

当時稲葉先生は、QDTという歯科技工雑誌の別冊として、『現在のテレスコープ・システム』という本を出版しました。

1978年、当時私(稲葉繁)がドイツに滞在した経験では、渡欧する前に持っていたドイツに関する知識と、実際生活してみて自分で経験したこととの差が大きいことに改めて気づきました。

歯科医療に関し、保険制度の整備がよく行われて、患者様優先、学問優先の考え方が実行され、日本ではとても健康保険ではできないような貴金属を使用したドイツの入れ歯テレスコープ・システムが盛んにおこなわれていました。

テレスコープの種類も多く、適材適所に様々なタイプのテレスコープが用いられ、学生実習においても基礎課程の模型実習で教育され、実際の患者様においても日常茶飯事に用いられ、驚いた経験があります。

貴金属を使用したテレスコープ・システムがドイツで好んで行われる理由には、ドイツの製品はあらゆるものが丈夫で長持ちするようにできているということがあげられます。

1つの物をつくろうとしたとき、種々の方向から検討され、最善の方法がとられることがつねです。

ドイツ式入れ歯、テレスコープシステムは、その代表です。

古くはすでに1886年にR.W.Starrがブリッジの装置として、また1889年にPecsoによってテレスコープを使用したブリッジが考案されているので、現在までにテレスコープの歴史は130年以上ということになります。

その間、多くの先駆者たちによって、よりよい方法が追求され、研究開発が行われてきました。

現在のような精密なテレスコープ・システムの方法は、1929年にHäuplとReich-born-Kjenerudによって発表されています。

そして、その後長い間改良されてきて、さまざまな欠点を補う方法として、1968年にK.H.Körberが、フライブルグ大学に在籍していたときにKonuskrone(コーヌスクローネ)と名付け10年間の成果を発表しました。

ドイツにはもう一人、同名のKörber教授がいました。Prof.E.Körberです。

E.Körber教授は、チュービンゲン大学の補綴学教室の主任教授でとして知られ、彼が、テレスコープ・クラウンの大家でありました。 私は彼のもとへ客員教授として招かれ、様々なことを体験する機会を得ました。

【ドイツ式入れ歯、テレスコープシステムとの出逢い】

テレスコープ・システムは創立以来500年以上の歴史あるチュービンゲン大学独特の手法であったため、当時、私もドイツ国内に新しく開発した、テレスコープ・テクニックを紹介するため、バスを連ね、旅行鞄に一杯の義歯を入れて研修指導に行った思い出があります。

ある時、医局旅行があり、南ドイツのあるお城へバスで行きました。お城の城主がKörber教授の患者様だったからです。

そして、その時、お城の城主の口の中にテレスコープシステムを応用した、取り外しが可能なブリッジが装着されてるということをはじめて聞きました。

なんと、それが20年間使われていると聞き、そのような素晴らしい方法はどのような方法なのだろう。

ぜひやってみたい!と思いました。

医局旅行から帰ってきて、早速Körber教授から城主のテレスコープシステムのスライドを見せてもらいました。

当時のKörber教授の20年症例です。

その製作方法は非常に複雑で、まったくわからないような構造でしたが、絶対自分のものにしたいと思い、ぜひ、やらせてほしいとKörber教授に頼みました。

テレスコープシステムの一つ、リーゲルテレスコープの発案は、Dr.Strackと、技工マイスターのE.Shlaichによるものであったと、その後、Körber教授から聞きました。

それを改良して世に出したのがKörber教授ということです。

というわけで私は、ドイツではじめて実際の患者様を2例、全顎の症例を治療させていただきました。

【ドイツ式入れ歯テレスコープシステム症例】

こちらが患者様

型取りをしているところです。

噛み合わせの器械につけて、ワックスで形を作り、
診断をしたり、仮の歯を作ります。

リーゲルのレバーがかかる部分です。

下のリーゲルテレスコープの途中経過。

そして完成です。

ドイツで、38年前、Körber教授の指導の下、初めてドイツ式入れ歯、テレスコープシステム症例を 行った私の思い出の症例です。

その後、日本に紹介させていただき、30年以上経過しましたが、私は、当時Körber教授20年症例をいつのまにか超える結果をだすことができました。

あの時、ドイツへ渡欧していなかったら、今の私はなかったと思っています。

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ということで、ドイツ式入れ歯テレスコープシステムを日本に紹介した稲葉繁先生へのインタビューでした。

そして、すべての歯を失った方へは、同じくドイツ式総入れ歯をご提供させていただいております。

▼Dr.シュトラックによる総入れ歯の理論と歴史

IPSG認定歯科医院は、Dr.シュトラックの理論による総入れ歯をご提供させていただいております。

1949年、ドイツチュービンゲン大学のDr.Reiner Strackは、「入れ歯の安定」について、従来の入れ歯製作法則を否定し、口の周りの筋肉を利用することにより、入れ歯が安定する方法をを考えました。 口の周りの筋肉、唇、舌のバランスが取れるところで、もと歯があったところに歯を並べ、入れ歯が安定する方法を開発し、さらに顎関節に調和した人工歯を開発、特許を取得しました。 Dr.シュトラックは、今日世界中で広まっている総入れ歯の源流となります。

シュトラックデンチャーのコンセプトは、「義歯が顎関節を誘導し、すり減ってしまった顎関節に負担をかけずに本来の機能を取り戻す」ということ。つまり、「入れ歯が顎の関節を守る」のです。

シュトラックの理論を引き継いだのが、Dr.シュライヒです。

稲葉繁先生は、Dr.シュライヒからオリジナルを受け継ぎました。

稲葉繁先生は、1978年ドイツ、チュービンゲン大学の客員教授として留学していた問いに、イボクラー社主催のそ入れ歯のセミナーを受講し、同社の補綴研究部長、Dr.シュライヒと出会いました。

Dr.シュライヒと稲葉先生はともにDr.シュトラックを尊敬することから親しく交流することになりました。

チュービンゲン大学では、日本の歯科医療教育による総入れ歯とは全く異なる医療教育が行われていて、稲葉先生は大変な衝撃を受けたと言います。

そして、ガンタイプのシリコン印象材が開発されたのを機に、「最終印象を上下顎同時印象で採る方法」を開発、発表しました。

Dr.シュライヒは引退する際、すべての資料やスライドを稲葉先生に託しました。そこには、Dr.シュトラックの理論と診療技術を受け継ぐ、「シュトラックデンチャーを絶やさないで欲しい、世界中に広めて欲しい」という願いが込められています。

イボクラーデンチャーシステム

  • 1.  ナソマート咬合器はデュッセルドルフ大学のべドガー教授が開発しました。
  • 2.  印象はミュンスター大学のマルクスコルス教授のイボトレーを用いました。
  • 3.  ゴシックアーチ描記のためのファンクショングラフはポーランドワルシャワ大学のクラインロック教授からヒントを得たものです。
  • 4.  人工歯はチュービンゲン大学のDr.シュトラックのオルソシット人工歯を用いています。
  • 5. 重合方法はイボカップシステムを開発しました。

これらのまとめ上げ総義歯製作の体系を創り上げたのが、Dr.シュライヒです。 義歯のコンセプトは尊敬するDr.シュトラック義歯の理論を応用しています。

IPSG認定歯科医院では、稲葉先生が直接ドイツで学んできた入れ歯の技術をご提供させていただいております。

治療の進め方や、サポートの方法などもご相談させていただくことができますので、遠慮なくご連絡いただければと思います。

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